何が「絆」か!何が「一緒に生きている」だ!何が「復興を祈願する」だ!
私たち被災地・被曝地の日本人が去年味わったのは「絆」ではなく断絶である。
繋がることではなく被曝地差別だ。
復興のことなど考えもしないで、己の小さな健康被害しか頭にないような者たちの姿だ。
受けた数々のご支援の喜びと同量の絶望感だ。
こんなことがなければひとつになれない。こんなことがあってもひとつになれないわが国。
私たちを差別し、嘲笑し、そのことによって自分が安全だと錯覚をする。他人を傷つけることでしか、自分の安全信仰を確認できない。
この者たちは自分たち「消費者」だけが一方的に農民を非難し、憎悪をぶつけることができる特権を持っていると錯覚している。
農民の沈黙をいいことに、精神的サディズムに酔っている。
このような者が福島の農民を傷つけて嗜虐的に喜んでいるなら、私たち農民の中にも彼らへの大きな怒りが抜きがたく生まれていることを知ったほうがいい。
農民をなめるな!俺たちにはお前に流れていない赤い血が流れているのだ。
私は福島で避難を求めて闘うお母さんたちには心から支援をしたいと思う。
低線量被曝を恐れる人たちと農民としてしっかりと連帯したいと思う。だから、長期の健康被害の診断が受けられる「被曝手帳」の提案もした。
しかし、安全地帯に住みながら、みずからの「健康」被害のみに埋没し、「被曝地」の人々をせせら笑うような奴らはぜったいに許さない。
この者に問いたい。あんたは何か放射能被害の解決のために汗をかいたことがあるのか?
涙のひとつも流したことがあるのか?
「被害者」はあんただけなのか?
農民をテロリスト呼ばわりするだけで放射能問題が解決するとでも思っているのか?
俺たち農民は放射能と日々闘っている。
自分の作り出す農産物の安全のために全力を尽くしている。
それを知ろうともしないで、俺たちを背中から撃つのはあんたのような人間たちだ。